アリストトリストと蝶野正洋に関わってくださったクリエイター、デザイナーの方々を紹介いたします。

今脇健太 IMAWAKI KENTA(アーティスト)



「かつても今もスーパースター」

2023年3月に行われた『パラリンアートカップ2022』において、一般財団法人日本寄付財団の認定アンバサダーを務める蝶野さんは、プレゼンターとして、作品名「波を乗りこなす」で日本寄付財団賞を受賞した今脇健太さんを表彰しました。

授賞式の際に蝶野さんより「次は是非、プロレスの絵を」という要望を受けて、今脇さんがプロレスをテーマに創作してくれたのが今回の作品になります。

<今脇さんコメント>
「作品には授賞式の壇上で「山を描いた欲しい」とおっしゃられていたので、バックグラウンドを山にさせて頂きました。また、中々、プロレスの商用、著作権フリーの画像が無かった為、作品の人物となりましたが、蝶野さんにとって、プロレスは命懸けで歩まれた栄光の道だと思いましたので、人物、山、その他、ゴールドにさせて頂きました。また、これは、私の感覚の問題ですが、蝶野さんと初めてお会いしたインスピレーションが、テレビで拝見させて頂くのとは違い、とても人の温かみ、今の日本人が失いかけている心の温もりを非常に感じましたので、相撲の土俵で表現させて頂きました。
そして、蝶野さんは常に前向きに今を頑張られる方だと勝手ながら思いましたので、偶に過去をブラインド越しにでも振り返って見る様なアレンジもさせて頂きました」


安居院一展 AGUI KAZUNOBU(イラストレーター・デザイナー・書家)

有限会社APACHE[アパッシュ]代表取締役
株式会社AGU[アグ]代表取締役

【プロフィール・キャリア】
12歳・二科展・特選を受賞しキャリアをスタートさせる。
16歳・学校で起こる事件をマンガにして笑う。先生の似顔絵を描いて遊ぶ。
20歳〜テレビ番組タイトルデザイン・イラストレーションを中心に独自の創作観を追求。現在に至る。

NTV.ガキ使裁判のイラスト・絶対に笑ってはいけないシリーズでのデザインワークをはじめとする一方、TBS.はなまるマーケット、Vリーグ堺ブレイザーズキャラクター「我王」、絵本だんぱを手掛けるなど、その表現力はNO policy!
ドラマ・映画・音楽・広告・イベント・スポーツ・観光・YouTubeなど多ジャンルに創作の場を広げて活動している。


ai_jun.(アーティスト/ツナガル株式会社)

【生と死を感じる絵】
絵は、「自分だけの空間」を作ってくれます。

紙にインクが“じゅわー”っと出てきて、滲んで、染み込んでいくのを見るのが快感で、安心感と幸福感を得ることが出来ます。

これまで、自分を大切に出来なかったり、周りに感情を押し付けてしまったり…
上手く生きられず、死を考える事もたくさんありました。

苦しかったこと・戦ったこと・泣いたこと・前を向けなかったこと。
そのすべての経験が「強く美しい絵」を描く為にあったんだと思えるように、描き続けているのです。

▼ URL
Instagram@ai_jun_world


小林 和朋(元『週刊ゴング』副編集長/元『闘魂スペシャル』編集長)

プロフィール・キャリア
1981年より『ゴング』編集スタッフ・新日番になる。
『週刊ゴング』副編集長を務めた後、90年より独立し、新日本プロレスオフィシャルマガジン『闘魂スペシャル』編集長に就任。
95年に編集プロダクション『バーニング・スタッフ』設立。編集記者、カメラマン、デザイナー…と幅広く仕事をこなし『20年目の検証 猪木ーアリ戦の真実』、『新日本プロレス20年史/25年史』、写真集『超戦写』、闘魂三銃士 自叙伝『烈闘生』、蝶野正洋デビュー20周年記念写真集『黒の肖像』など、多数の出版物を手がける。
06年よりタイ古式マッサージの道へ進み、09年に千葉県市川市の自宅でタイ古式マッサージ隠れ家ヒーリングサロン「和(なごみ)」を開業。

リンク
和HP

秘蔵フォトギャラリー(10)蝶野正洋コメント
これはいつの写真だろう。場所、時期が不明だ。ただ、海外遠征を終えて日本に定着した1990年以降は、2〜3シリーズごとにタイツのカラーを変えていたので、なんとなく時期はわかる。前回紹介した東京ベイNKホールのIWGPタッグ戦(1990年4月27日)と同じカラーなので、日本に定着した頃の写真だね。

タイツの話をすれば、海外遠征時代は、白の田吾作タイツでサイドには「JAPANA」の文字を入れていた。一昔前は海外での東洋人キャラは黒の田吾作タイツが一般的で、自分はというとみんなと違う色を選んで白をベースにしていた。一時期、赤にした時もあったけど、最後の方は白で統一していたね。

日本に帰ってきてからはマルティーナが「田吾作はおかしい」というから、タイツをスパッ系に変えることにした。マルティーナとシマスポーツに一緒に行って生地選びをして、デザインをしてもらって。G1のときにカラーをラメ入りしたこともあったけど、あれはマルティーナの発想。彼女がいなかったら、一生、田吾作タイツで羽織袴を着ていたかもしれない(笑)。

自分がサソリ固め使うことは、滅多にないというか記憶にない。サソリ固めを得意技にしている長州さんに仕掛けているのは、先輩に喧嘩を売る感じで挑発の意味合いもある。闘魂三銃士の中での競争もあった。当時は体力的には一番充実していたが、自分が一番伸びきっていなくて3番手だったからね。

藤波さんにドラゴン・スリーパーをかける選手も多くいたけど、それも心理は同じ。決め技でなく、駆け引きとして試合の流れの中で使っている。自分は東京ドーム(1990年2月10日)で猪木さんに卍固めをかけている。あれは猪木さんへの挑発とお客に対するアピール。ただ、坂口さんにはアトミックドロップはできない。持ち上げたらこっちが潰れる。

この頃、長州さんはサソリ固めをフィニッシュ技として使っていないと思う。ラリアットが決め技であり代名詞。ただし、三銃士はラリアットを使っていない。スーパーヘビー級のベイダー、ノートンもラリアット系。この頃はラリアット全盛期の時代。俺なんかはラリアット否定派でアンチ・ラリアットのポジションがあった。

話をサソリ固めに戻すと、写真にある形に入るまではいいけど、ステップオーバーするのが大変。ステップオーバーするとき、片足で相手の体重を支えるので踏ん張る力、足腰がしっかりしていないとできない。おそらく、このときはポーズだけでステップオーバーしていないんじゃないかな(笑)。


YUSUKE NAITO a.k.a.NAIZSON(デザイナー/トラックメーカー)

プロフィール・キャリア
00年代よりいくつかのアパレルブランドのデザイナーを経て2022年より独立。
デザイナー業と並行して90年代よりDJとして音楽活動もスタート。00年代より作曲活動も始め、後にNIGO®氏率いる(B)APE SOUNDSより2枚のアルバムを発表。CHARAやリップスライム等様々なメジャーアーティストへの楽曲を提供。現在はファッションブランドのデザイン提供や色々な分野への楽曲提供などを行なう。

Instagram
@yusuke_naito_tpp

コラボレートアイテム


アカツキ(イラストレーター)

プロフィール・キャリア
2005.3 書籍「アホな客」(宝島社)の挿絵、表紙担当
2011.9 著書「部長川柳」(エンターブレイン)書籍化
2015.6 TBS特番「オクノテ」イラスト担当
2018.6 著書「味のプロレス闘魂編」(新紀元社)書籍化
2018.9 著書「味のプロレス王道編」(新紀元社)書籍化
2018.10 東京 北参道andMadeにて初の個展開催
2020.3 著書「味のプロレス オールスター編」(新紀元社)書籍化
2020.9 プロレス殿堂会 ステイホームチャリTシャツ デザイン担当
2021.12 uhbノンフィクション北海道「新根室プロレス物語」イラスト担当
2022.6 著書「味のプロレス オールスター編2](新紀元社)書籍化


URL
http://akatsuki-sense.com/
https://twitter.com/buchosen

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